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wourd historyのブログ

特に歴史についての記事載せています。不定期ですが記事を載せていこうと思っていますので興味ある方はぜひ読んでみてください<(..)>

瀬長亀次郎

瀬長亀次郎は沖縄県島尻郡豊見城村我那覇で誕生する。1963年に執筆した彼の過去の人生には彼を正しく導いた「三つの星」というものがあった。一つ目は母という存在であった。亀次郎は戦時中母と羽地村で生活をしていた。しかしもともと貧農ということもあり父は彼が三歳の時にハワイに出稼ぎにいっていた。彼はそういった家庭で育ち母の一生懸命生活をきりもりする姿を見て成長した。二つ目は恩師である。彼は当時市民のよって選ばれ那覇市長に任命されたことがあった。その際に彼はアメリカ民政府やアメリカの影響力を受けたものたちから姿勢干渉を受けた。彼が窮地に立たされたときに当時の恩師である松原多摩喜先生から手紙が送られてきた。七高で亀次郎は学業を続けることが困難だったときに援助してくれたが、在学時に社会運動を行って途中で退学となってしまう。その後亀次郎は刑務所へ服役しその時にあったのが最後であったが、今回新聞を通して亀次郎の消息を知り手紙をよこしたのであった。そのときにお世話になりそこで学んだことや亀次郎に対する教師としての愛情が彼の人生を支えてきた。そして三つ目の存在として人民党があった。彼は終戦後に県で人民党に所属していたが反米軍への活動などが米軍にとって目障りであったため人民党は弾圧を受けた。軍法会議にかけられ刑務所に収容された。しかし彼は釈放されて間もなくして那覇市長に任命されそこで改めて米軍との対立姿勢を鮮明に示した。これに対して米軍はついに府令を出して強引に亀次郎を市長の座から引きづり下した。この対応にもめげることなく彼は活動を続けた。これは彼が人民党から学んだことであり個人で闘うには限界があるが、人民党に所属し初めて集団で共闘することの強さを知った。こうして彼は戦後沖縄を占領して統治する米軍が県民の人権を侵害や戦争の島としての活動を止めさせるべく不屈の精神で活動を続けた人物であった。